| >エノンセをどのような歴史の文脈に置くかによって、アルシーヴは異なって立ち現れてくる
本を読むかぎりはここでいわれている「歴史」というのはテクスト(つまり解釈によって様々にかわる)ではなく過去にあった事実の総体としての「歴史」だと思うので、その歴史の総体から読み取れるアルシーヴ自体は一つではないかという印象をうける。
「このアルシーヴという観点からみると、人間という存在も、 可能であったはずの様々なディスクールの一つのヴァリエーション にすぎない存在であり、歴史における一つの差異にすぎない」 とある。「可能であったはず」ということは、実際にはディスクールは一回性の歴史の中で決定されているわけで、その歴史のなかのエノンセも個々は一回性の事件であり、それらの総体たるアルシーヴも一つなのではないだろうか?
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