| ■ぬるお『こんな私なら生まれてこなければよかった』について
前のオナニーうんぬんはフォローしようと思ったら俺が空気読めてなかったということで もう忘れてください。
で、僕なりにぬるお氏に何かプラスになることを本腰を入れて意見しようと思いなおして、 ちょっと考えたことを書いてみます。 でもあまりきちんとした理論の裏づけはないので、参考程度に読んでください。
■ぬるお氏に提案したいのは「語りの視点を意識する」ことです。 あるコマや台詞、モノローグがあったとして、 それが誰の視点のものかを、コマ単位、台詞単位で意識したらいいと思います。 もちろん誰でもあるていど意識してはいると思いますが、 視点の移動にメリハリをつけて、演出の道具にまで高められたらいいよね、っていう理想論です。
■具体的に見ますと、2pからの主人公の悲しいモノローグは、主人公視点です。 とても悲しい感じがでている。 そこで2段目に白抜きで「柴崎・・・」のモノローグ。この語りは、物語の語り手視点です。 1pの前回までの説明をこのページまでひきづるのは、気持ちとしてはとてもわかります。 ですが、ここは主人公の悲しい内面をひたすら描く場面ですから、 主人公の内的な声だけですすめるという選択肢もあったでしょう。 つまり「私は柴崎望美、14歳、友達はひとりもいない」とした方が、僕は好みです。
次のコマの「やっと昼休みだー」は絵的には第三者視点ですよね。 (4コマ目と5コマ目にはタイムラグがあるから、4コマ目は主人公の目撃ではないよね?一応確認) つまり主人公のモノローグが続いて、「柴崎・・・」「やっと・・・」の2コマで 視点が一旦語り手に移動して、つぎの段で使用中のトイレが描かれ、 また主人公の視点にもどっていく。
細かい話だけど、このページは話の冒頭から主人公の悲しげな内面を描くものだから、 なるべく主人公視点で一貫させたほうが効果的だと思います。 もちろん、「ここがトイレである」という場面の説明に1コマ必要だから、 4コマ目自体はあってもいい。 (トイレという場面と、昼休みという時間をチャイムで同時に表しているから、 情報の多いよいコマだと思う。) ただ、「やっと昼休みだー」のフキダシは、次のコマにつめてしまってもよかったとおも。 あるいは人物ごと台詞も消してしまう。 フキダシが入ることで、読者は4コマ目の人物に意識がいく。 字コンテ的にいうと ------------------------- チャイムが鳴った。 「やっと昼休みだー」 授業をさぼっていた同級生が、トイレから出て行く。
同級生達の楽しげな会話が、ドア越しの柴崎に聞こえてくる。 -------------------------------------------- という感じで、その出て行く同級生を語り手が意識することで、読者もそこへ意識が行く。 一方台詞をけずると、こんな感じ -------------------------------- チャイムがなった。昼休みだ。
同級生達の楽しげな会話が、ドア越しに聞こえてくる。 「ねーねー食堂いかない?」 --------------------------------- という感覚で、主人公視点が一貫されるっぽい感じが出る。
ちょっとだけ印象がちがうのではないかと思う。 そんな細かい話うぜーよ、とか思ったら聞き流してください(´・ω・`)
■3〜5pは主人公視点で一貫しているので、すらすら読めます。 6pからが「視点」による演出の使いどころだと思います。なぜならぬるお氏は
>見かけ上は快活に見えても心中はそうではない人間がいるってことです >前半部の過去回想編は彼女の内面に的を絞って描写しているので、あんな暗くなりましたが >後半部、現在編は彼女視点でなく、第三者視点から描いているので読者に見えるのは彼女の外面だけです。 >要するに彼女の快活っぷりは彼女が見につけた一種の仮面なのだ……
と書いているし、僕も読んでいてなんとなくそれは感じたからです。 ですが、それを実現しようと思ったら、非常に技巧的な演出ですから、とうぜん技巧が必要です。 ですから、ここで「視点の意識」をどういうふうに徹底させればいいか、考えたいと思います。 まず指摘したいのは「第三者視点」が具体的に誰なのか、 もっと言えば、教授視点なのか、語り手視点なのか、が大事なポイントだと思います。 語り手というのは、話をぜんぶ見越した視点なので、「主人公の外面だけ」を描くには、 「彼女の外面は、内面とは対照的にこういうものだ」という説明口調にしなければいけない。 「彼女はこういうふうに振舞った」という描写だけでは、わかる人にはわかるけど、 強調はできてない。あくまで「内面と対比」させなくては、 すべてを知っている語り手視点からはアピールできない。 だから、この場面でベターな選択は「教授視点」による語りだったと思う。
7pの驚く主人公を描きたいがために、教授の登場シーンは、主人公視点=「うしろから忍び寄る謎の人物」ということになっている。 前述の演出意図を達成するためには、ここは我慢して、 最初に一コマ、教授らしき人物がやってきて「おや?」と小さいモノローグを一つつける。 これで読者はすぐに教授視点になる。 その後「じり・・・」のコマがきたら、同じコマでも意味がちがってくる。 「忍び寄られる」描写ではなく、「忍び寄る」描写になる。
7pもガラーンのコマは主人公視点だから、ニュアンスをかえる。 教授が手を広げて、誰もいないことをアピールするようなコマにかえる。 お茶にさそうときも、少しモノローグをいれて、なぜ彼女を誘おうおもったのか 動機を読者に伝える。 例えば「なんだか変わった子だな」などとモノローグを入れたあとで、 「なんだ、けっこう明るいところもあるじゃないか」などと次のページにもう一度モノローグ。 こうすると、話の印象がだいぶ変わってくるだろう。 主人公のキャラクターもちぐはぐではなく、 視点によって、内側と外側を描き分けられて、深みが増すのではないだろうか。
9pの教授のアップはいいと思います。ここで読者は教授視点に入っていく。 でもどうせ入るなら、もっと早い段階でいいと思います。 ぬるお氏は、キャラクターを登場させるとき、キャラクターの外の視点から入っていくのが習慣みたいですね。それ自体は別に悪いことじゃないけど、そういう習慣があると自覚するのは、一つのステップアップだと思います。
■13、14pは基本的に語り手視点だと思います。これはこれでいいかな。 問題は15,16pです。 左のページは、主人公視点のクライマックスですが、右のページはもう少し改善の予知ありかと。 左のページは、主人公と新しい女性の出会いを描いているわけですよね。 主人公視点の出会いなわけですから、主人公は彼女を初めて目にするわけです。 すると、15pの4コマ目は、ちょっとフライングな気がします。 顔ではなく、もうすこし「主人公がまだ彼女をはっきりとは認識できていないと感じるような」 モチーフの方が僕は好みです。彼女の鞄、手、足、あるいは口元のもっとアップ。
それに、このページは主人公視点の驚きを伝える場面ですから、 もっと主人公視点を急いで強調したほうがいいと思います。 一コマ目、これは主人公と新しい女性の出会いを予感させるコマですが、 ここは少し我慢して、主人公が「いけない・・・」というコマと、 「階段をくだる誰かの足」は別のコマでやらないと、語り手視点になってしまう。 面白いコマではあるんだけどね。 主人公視点になっていれば、次の「あのー」がより効果的になってくる。つまり主人公の耳にとどく「あのー」と、それに反応する主人公、という流ができる。 でも今のままだと、「はい?」という主人公が、どこか客観的に見える。 本格的に主人公視点になるのはページの最後のコマで、次のコマで最高潮になる。 これでは「タメ」がちょっと少ない気がするんだな。あくまで好みの問題だけど。
ひとつ適当な例を見つけたので、ぜひ参考にしてほしいのは エヴァ3巻48〜49p。非常に似た場面で、貞元の確かなテクニックが感じられるページだから。
右ページ上段では明らかに主人公視点。「なんだこれ・・・」に続くモノローグ。 下段で、シャッという音に反応するシンジ、次ぎのコマですこし振り向く、足だけが見える。 つぎのページで、タオルをはおる綾波。
なるおは足→音(声)→顔半分→全身だったけど、貞元も音→足→全身 と良く似た展開をしている。(まあ、よくある場面だけどね。) ただ、よく似た展開を踏んでいても、貞元は主人公視点が非常にクリアに表現されている。 主人公の、認識の段階が表現されている。 あるものに集中していた意識が、よくわからない音で我にかえり、 ふりかえる、でもまだ誰かははっきりわかっていない、足だけが見える。 読者はこの足のコマと、次ぎの全身のコマをほとんど時間をおかずに読むだろうから、 それがシンジが振り返りながら綾波を認識する速度と華麗にシンクロするわけだ。 ほとんど完璧といってもいいようなコマ運びである。 コマ運びによる意識の流れの描き方が完璧なのである。
こんなふうに視点を意識するということを、次ぎの漫画から生かしていってほしいな と思う。どうだろうか。
■ちなみに 今回の僕の漫画では7pの2コマ目と3コマ目で突然視点が語り手から主人公に変わる、 というか、語り手としての主人公と、登場人物としての主人公が切り替わる という工夫を意識的にやっています。 自分で読んでいて一番快感なのはこのコマなんだけどな。 僕の読み方が偏ってるだけなのかもしんない。
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