時計台
(現在 過去ログ6 を表示中)

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■1585 / inTopicNo.1)  批評についての議論
  
□投稿者/ いっぺー -(2006/06/25(Sun) 02:23:47)
    (分岐前スレ:【俺にだって】漫画技術質問&語り総合スレ【わからないことぐらいある!!】)
    技術質問スレではスレ違いっぽいので。
    昔のスレに「批評の批評」ってのがあったけど、あれは話の区切りがついちゃってるので新しく立てました。

    さて、

    私は、褒めることで却って相手を傷付けてしまったことがあります。
    # 細かい表現は忘れましたが、
    # 「絵が上手い、それは伸ばすべき部分だ」、というようなことを私は言ったつもり
    # だったのですが、
    # 「自分がやりたいのはお絵描きではなくキチンと話を描けるようになりたいのだ、
    # だからそういう褒められ方は嬉しくない」
    # とヘコませてしまいました。
    褒めることに向いてない自分は、安易に人を褒めるべきではないと思い、意図的にそれをやめることにしました。
    褒めることでマイナスにはなることは決してない、というわけではないのです。

    まあ私以外の普通の人は褒めるのがもっと上手いのか、私ほど下手ではないのかもしれませんが。
    しかし、良かれと思って、本来の自分のスタイルを曲げて、しかもそれで傷付けてしまったという事実は私にとって半ばトラウマに近いものがあります。
    明らかに優れている点を見つけても、それをどう褒めてあげれば良いかがどうしても分からない人もいるということを、どうか皆さん、知って下さい。

引用返信/返信 削除キー/
■1586 / inTopicNo.2)  Re[1]: 批評についての議論
□投稿者/ K.TEN -(2006/06/25(Sun) 06:05:10)
    呼ばれた気がするので来たのですよ。
    というか、OB大暴れですみません…

    分岐前スレの僕の書き込みを受けての事だとおもいましたので。

    いっぺー氏のスタンスは理解しました。


    それはさておき。

    大前提として、自分の漫画の不出来と向き合うのは良いことです。それは否定しません。
    でも、その大仕事の前に心が折れるひとも多いはず。モチベーションの低下です。
    そういう時に重要なのが、漫画描きとしての方針、趣向、信念とかだったりすると思うのです。

    描き手のモチベーションを上げる手法としては、褒めるというのが一番ポピュラー
    じゃないかとおもいます。これについては譲る気は無いです。
    褒めた上で提言した意見が描き手の信念とか趣向に合致してれば万々歳。
    外れてれば残念だったと…それだけのことでしょう。
    人間として、傷ついたり傷つけられたりする次元ではないと思います。
    モチベーションの上がり下がりはあっても。
    ただ、できるだけモチベーションをお互い上げていく努力はすべきじゃないかな、
    と思うんです。つきあいが長くなれば、的中率も上がると思います。


    蛇足

     いま、「批評の批評」スレを見返してきました。うわぁ…昔の自分のテキスト…はずかしい…。
    そして今の僕はかなりふてぶてしくなっております。これが青春が終わるって事かい…?

    それはさておき、今より少し知能の高そうな、しかし青臭い自分が居て複雑な心境ですが、意見の大筋は変わってなかったので一安心しました。
    でも、肝心なことが抜けてたので補足します。批評を聞く側の心がけ。
     モチベーションを上げて貰った意見だとしても、別にバカ正直に聞く必要はない。
    漫画は最終的には一人で描くもんだ。

    以上です。
引用返信/返信 削除キー/
■1593 / inTopicNo.3)  Re[2]: 批評についての議論
□投稿者/ ウツダ -(2006/06/25(Sun) 20:06:19)
    そんなスレが昔ありましたね。
    ちょっと読み返しましたが、
    あのスレは個人的にはかなり消化不良でしたね。
    (今年の僕ならもっと大暴れしてたに違いない。)
    省みれば、あんまり面白い議論になってなかった。
    いつかもっと突っ込んだ話をしたいと思ってたんですが。
    でもこのスレはまたちょっと雰囲気が違うかな。

    ■主張や信念がある人の動機と、ない人の動機
    根拠なく思うのですが、
    自分の漫画に対する考え方、信念が固まっているひとは、
    褒められても素直にうれしい気持ちになる気がします。

    一方、考えに迷いのある人は、褒められてもあんまり嬉しくないのでは
    と思います。(僕はそうです。)

    (例えば、好きな勉強をしているときに「がんばってるね」
    と言われると嬉しい気持ちになるけど、
    いやいやテスト勉強してるときに同じ事を言われても
    あんま嬉しくないのと似てる気がします。)

    自分の信念がある人にとっての「褒め」はその人の信念への同意・賞賛だから
    受け入れられるのだと思います。
    逆に、信念がないとき、あるいは迷いが生じているときの作品というのは、
    暫定的、試験的、保留的、仮想的なものですから、
    それへの「褒め」は、あまり意味がないし、
    酷い場合は、「もう悩まないで、これでいいじゃん」という
    意見に聞こえてしまうのではないかなと。
    そしてそれに反発し、苛立ってしまうのではないかなと。

    また別な言い方をすれば、
    信念が固まった人にとっては、作品は「自分の考えを読者に説得する」場です。
    それが目的であり、モチベーションなのだと思います。
    だから、読んだ人が自分の作品に同意してくれると、
    目的が果たされたことになるので、嬉しいんじゃないでしょうか。

    信念が固まってない人は、とりあえず自己定位することが目的であり、
    モチベーションです。ですから、作品の良し悪しは、読者が読むまでもなく、
    描いた時点で勝敗が決するわけです。
    描いてみて、「この方向性でありなのか?なしなのか?」は
    自分の胸に聞けば、一発でわかります。
    だから、人の同意やなんかは関係ないんじゃないかなと。

    ■つまりですね
    いっぺー氏とK.TEN氏の立場の違いというのは、
    相手が自分の漫画の主張や、思考、方向性に悩んでいる人か、 そうでないか、
    という想定の違いからきているのではないかなと。
    前者なら、いっぺー氏の悩みは正当なものだと思うし、
    後者なら、K.TEN 氏の主張もまた正しいと思います。

    ■それを踏まえて
    いっぺー氏が言っている人物が誰だか僕は知りませんけど、
    別にいっぺー氏が悩むことではないと思いますが。
    「なんか意見ください」と(たぶん)その人は言ったのでしょうから、
    それで褒め、つまりポジティブな意見を言って相手が凹んでも、
    いっぺー氏に悪意がないのならそれは相手の自己責任じゃないでしょうか。
    僕なら「知ったこっちゃねえぜ」で済ましてしまうところですが、
    そこを誤魔化さないところがいっぺーさんクオリティなのか。

    (もちろん悪意がなかろうが、人の作品にあれこれモノ申すときには
    僕は非常に厳密さと正確さと理論性と歴史的正当性とを要求しますが、
    それは僕個人の考えですから、ここでは注釈するにとどめます。)

    (もう一つ、これも僕の持論ですが、
    批評と感想という言葉使いをいいかげんしっかり使い分けてほしいです。
    「批評」とは、作品の善悪、正否を論じること、その価値基準の理論を語ることです。
    「批評」はつねに作品を善しとするか、悪しとするかの抜き差しならない場所です。
    褒める、褒めないは正確には「批評」の範疇外です。
    「批評」という言葉の重さをみなさん知るべきです。
    「批評」について、これまでいかに多くの詩人、小説家、文学者、文学研究者、
    評論家、哲学者、言語学者たちが様々な理論を長い時間かけて蓄積してきたかを。
    それを知れば軽々しく「批評」などと口にできるはずがないのです。)

引用返信/返信 削除キー/
■1602 / inTopicNo.4)  スレタイはもう変えられんのでこのままゴーオンということで
□投稿者/ いっぺい -(2006/06/27(Tue) 01:53:45)
    > ウツ
    まとめありがとう。
    本当にありがとう。
    納得の行くところですし、そんときの雰囲気もそんなだったと思います。
    「褒める」ということに対する呪縛が幾分解けた気がします。

    その時は「ただ自分の褒め方が悪いから」が唯一の理由であると思い込んでしまったわけですが、相手にそれを受け入れる体勢が整ってなかったことも一因であるわけですな。
    褒めてもダメな点を指摘してもヘコまれうるなら、どっちもやって、どっちの技術も上げていくべきだということですね。

    んー、でもそうすると、信念が固まってない人は、褒めてもダメな点を指摘してもヘコむ可能性があるな。
    あ、正解はそういう人には何も言わないことなのか。
    いや、信念を持ちうる部分というのは幾つか分かれているので、信念を持っている部分だけを褒めるというウルトラ技(テクニック)を極めるべきなのか……っ!

    ■批評という言葉
    了解。
    厳密ではない意味で使ってました。
    以後気をつけます。

    でも私がやってることは「感想」ともちょっと違う気がするんですよね。
    感想というと読み手が主観を述べて終わりという、一方通行なイメージが私にはします。
    私が本当にやりたいのは、最善の一手の追求です。
    極限まで最適化され、これ以上どういじってもそれ以上良くならない理想の作品という状態へは、どうすれば近づけるのか。
    相手と私とでやり方が違うのならば、少なくとも一方は「最善の一手」ではないと私は考えます。
    もちろん双方が「最善」ではないこともしばしばありますが、いずれにせよ相手か自分がより良くなるチャンスだと思っています。

    誤解されそうなので先に言うとくと、「最善の一手」と言っても誰もがその方法を使うべき絶対のものではなく、あくまで自分の中でのルール事です。
    双方が相手の持っているルールを理解できて、その上で各々が相手のルールを採用しないと考えるならば、それは双方にとってより良い位置に立てたことになると考えています。
    ということで上の段落の文を厳密に表現するならば、以下のようになります。

    >『相手と私とでやり方が違うのならば、少なくとも一方は「最善の一手」ではないと私は考えます。』

    『相手と私とでやり方が違うのならば、少なくとも一方は「私にとっての最善の一手」ではないと私は考えます。』

    だから私は、私のやり方と違うやり方を見たときに「私だったらこうする」と表明するのですが、それは半ば私のやり方をより良い方向に導いてくれることを期待しているわけです。
    我々の差異が何処に起因するのかについての議論がしたいわけです。
    ということで、言葉遣いとしては、「検討」が近いのかな。

引用返信/返信 削除キー/
■1607 / inTopicNo.5)  Re[4]: スレタイはもう変えられんのでこのままゴーオンということで
□投稿者/ 絵夢 -(2006/06/27(Tue) 23:43:58)
    ごめんなさい
    本人の登場です

    ウツの説明が全てであるように感じます
    誉められて嬉しくないことはないですが
    なぜ嬉しくないっぽいことを言ってしまったかと言うと
    あのときは内容に関して皆からほとんど誉められず
    もりりんさんへのレスでも述べましたが
    やりたいことをなぜ上手く表現できないのかで迷ってました
    多少なりとも上手く表現できてるところが無いものか
    作品の内容で少しでも良い点があるかどうか
    つまり漫画の内容に関しての批評(感想、検討)を求めてたのですが
    唯一誉められたのが絵であり
    確かに嬉しくはあったのですが
    内容で誉めるとこは無いんだ・・・orz
    だから
    ># 「自分がやりたいのはお絵描きではなくキチンと話を描けるようになりたいのだ、
    ># だからそういう褒められ方は嬉しくない」
    のようなレスをしてしまいました。
    すみません。
    「内容で誉めてよ」という情け無いセリフが言えませんでした(今でも言えませんが)
    これがいえれば起きなかった問題なのかなぁと思います。
    誉めてくださったのに申し訳ありませんでした


    本当にわがままですが
    やはり誉められたいんです。漫画を描いてる以上。
    ほんの少しでいいんです。
    あの時の経験から批評の機会があれば自分がいいと思ったところは小さい部分でも誉めるようにしてます
    10個のツッコミがあっても1個の誉めがあれば気分は幾分か楽になるように感じます
    心落ち着いて10個のツッコミについて検討することができます
    ただ、相手の受け入れ態勢を考えてないのは自分にも言えることなので


    相手の受け入れ態勢、何を求めてるかは大切だ
    ウツのレスで考えがまとめられました。サンクス



    (いろんな人にトラウマを与えてるんだな俺のコメントは。。。orz)
引用返信/返信 削除キー/
■1616 / inTopicNo.6)  Re[5]: スレタイはもう変えられんのでこのままゴーオンということで
□投稿者/ 機関屋 -(2006/06/28(Wed) 03:38:52)
    絵夢君よ、君の言う批評のやり方はゴッツイうちわの話でしかないと思うな。

    >あの時の経験から批評の機会があれば自分がいいと思ったところは小さい部分で
    >も誉めるようにしてます
    >10個のツッコミがあっても1個の誉めがあれば気分は幾分か楽になるように感
    >じます
    >心落ち着いて10個のツッコミについて検討することができます
    >ただ、相手の受け入れ態勢を考えてないのは自分にも言えることなので

    相手の受け入れ態勢というが、それは批評(感想でも何でもいいけど・・・)される側
    が自分で言わなきゃ、そんなの知ったこっちゃないよ。
     君の書き方は、自分が批評するときはこうするんだから、俺にはそうしてくれと
    暗に要求しているように見えるよ。まあ、そんなつもりは無いと、君は言うんだろ
    うけど・・・見えるよ、僕には。
     君は、いろんな意味で優しい人間だから他人を傷つけたくないのは分かるけどそ
    れは馴れ合いの発想だよ。そういう場で、漫画に対して建設的なアドバイスになる
    とは思えんね。ただ、叩けばいいって言うもんじゃないとも思うけどね。
     そんなことで漫画へのモチベーションが、下がって描けなくなる様なら、そもそ
    も自分の作品を発表しないほうが良いよ。原稿は、自分の手を離れたら自分のもの
    じゃないよ。それは公のものだ。何言われても仕方ないよ。
     自分が、表現手段として漫画を選んで、漫画を描きたいと思ってやっているんだ
    ったらその程度で漫画がかけなくなるはずないでしょ?だから、そんなことは気に
    しなくて良いのだよ。
     ただ、漫研的には遺恨が残ることがあるだろうとは思うから、君の言いたい事は
    いくらか分かる。でも、それはやっぱりうちわ的で馴れ合いだ。そんな批評で、漫
    画が変わったりするもんか。(絵夢君の話はここまで・・・)
     
     そもそも、自分の漫画のどこが悪いかなんて自分で描いてて分からないとこまで
    描いて初めて他人のアドバイスを聞くもんだ。いや、それどころか完成してから批
    評したってそれが、今後何か役に立つのか怪しいよ。
     特に試行錯誤中の作品は、自分でもいろんな意味で不満があるし、今更それを出
    来上がってからあーだこーだと言われても、その漫画は変えようがないじゃない
    か。
     だって、プロの漫画家の作品だって、後から素人がいくらでも批評できるんだ
    ぜ?まして、僕ら素人の作品なんてそんなの言い出したらきりがないよ。
     
    だから、漫画は完成してから何か言うよりも、完成に至るプロセスの間により良く
    なるようにアドバイスすべきだ。まあ、僕個人としてはそれすら必要性をあまり感
    じないが・・・(描きたいものかいてりゃいいから、他人の評価は期待しないので)

    自分の引き出し
      ↓
    取り出して形にする
      ↓
    漫画完成←ここで批評!!

    よりは

    自分の引き出し
      ↓
    取り出して形にする←ここでアドバイス!!
      ↓
    意見を取り入れて試行錯誤
      ↓
    漫画完成

    の方がまだましだと思うのだよ。意見の活用としては率がいい。後からよりは、か
    なり活かされていると思う。
     でもね、本当はもっと良いやり方があるのだよ。

    それは・・・「自分の引き出しを増やしちゃう」ことさ!!
     それは漫画に限ったことじゃなくて、興味のあること、日常の様々な出来事、頑
    張ってること、そういうものの中で感動したり、インスピレーションを貰ったりす
    ることが大事なんじゃないのかな?
     そういう新しい「自分の引き出し」から、新しい「漫画」が生まれるかもしれな
    いね。今までと違った・・・まあ、これはある人からの受け売りなんですけどね。

    僕はどうかって?それはもう、ぺらっぺらですよ。薄っぺらくて、父ちゃん情けな
    くて涙がでらぁって感じだよ。
     でも、そんなに間違った事言ってないと思うよ。漫研は漫画描くだけのとこじゃ
    ないってのは、多分そういうもの(引き出し云々・・・)を増やすために色々するとこ
    でもあると僕は思っているから。実際、たまに他人の引き出しに触れて、びっくり
    することも多いんだから。
     そういうとこで、みんな刺激しあうほうが批評聞いてるより僕は好きだね。

    はーあ、二輪免許取ったんだし、早く手ごろなバイク見つけてツーリング行きたい
    わぁ。(さりげなく自慢・・・)
引用返信/返信 削除キー/
■1617 / inTopicNo.7)  Re[6]: スレタイはもう変えられんのでこのままゴーオンということで
□投稿者/ ウツダ -(2006/06/28(Wed) 06:11:56)
    ごめん、やっぱ「批評という言い方を感想に変えろ」は乱暴過ぎた。
    そこまで言うつもりはなかったんだけど、長年の不満でつい力んでしまった。

    別にやりとりするもの同士が、「その行為」をなんと呼ぼうが
    僕が干渉することではないかもしれない。
    (理想言語と日常言語の話みたいになってしまう。)
    でもそれを「批評」と呼ぶ場合、それは漫研内でのジャーゴンなんだよと、
    本来の意味とは少しずれているローカルな言葉なんだよと、
    いうことを知っておいて欲しいとは思う。
    仮にも自分の行為を「批評」と呼ぶならば。
    それに、「批評」について議論するとき、齟齬が生じるかもしれないからね。
    (『批評の批評スレ』はまさにそういう言葉のずれで混乱していたと思う。)

    とにかく、言葉狩りみたいなことはやはりよくないと反省したので、
    みんなどうぞ自分の言葉で、思うように議論してください。
    (でも、「私にとって批評とは、こういう意味です」ということを
    すらすら言えるぐらいには頭の中を整理しておいて欲しいとも思う。
    それが批評する側の最低限の義務の一つではないだろうか。)

    あー原稿が終わりません。
    嫌なタイミングでプリンタがインク切れしたし。
    かなり現実逃避。
引用返信/返信 削除キー/
■1619 / inTopicNo.8)  Re[7]: スレタイはもう変えられんのでこのままゴーオンということで
□投稿者/ 機関屋 -(2006/06/28(Wed) 06:46:00)
    どうやら、俺はウツダの癇に障ったようだ。orz
引用返信/返信 削除キー/
■1620 / inTopicNo.9)  Re[8]: スレタイはもう変えられんのでこのままゴーオンということで
□投稿者/ 絵夢 -(2006/06/28(Wed) 10:06:42)
    ■>機関屋さん
    >絵夢君よ、君の言う批評のやり方はゴッツイうちわの話でしかないと思うな。

    うちわの話でよくないですか?
    一般的な話は必要ないような・・・

    機関屋さんの考えは
    『誉めを入れていく努力や雰囲気⇒馴れ合いの場⇒建設的な意見がでない』
    だと受け止めましたが
    2点ほど
    ・10個のツッコミと1個の誉めのうち10個は機関屋さんの言う建設的な意見にすればいいんじゃないでしょうか
    (私は次の点で誉めも建設的意見だと考えているのだが)
    ・ある点を成長させるのに誉めるという方法があるのではないでしょうか

    確かに馴れ合いの場はよくないと思います
    機関屋さんの意見でも私の意見でも
    そうならないように努力する必要はあると思います

    相手のある点を成長させるのには方法が2つ
    それは批判と誉め
    だと思う。まさにアメとムチ。
    誉めは相手のある点を伸ばす方法の1つであると思います
    単に相手をいい気分させるだけ、やる気を削がないためだけのものではないと思います
    相手がその点を成長させるように誉めるのは難しいですが
    上手く人をコントロールする人はそういう誉めが上手い人なんじゃないでしょうか
    K−TENさんの言葉を借りると編集者的なんだと思います
    (私の現在の経験からは教授的であるともいえます)
    この点で私は
    『誉めを入れる雰囲気⇒馴れ合いの場』
    だとは思いません。
    ただそうなりうるというのは否定できません
    誉めのイメージが私と違う、ただ相手の機嫌をとるだけのものならば簡単に馴れ合いが起きてしまう。
    難しいところです。

    昔からずっと思ってた失礼な意見があるのですが
    批評って誰でもできますよね
    正確には批評ではなく問題提起(いっぺーさんの検討という言葉を考慮するとツッコミ=問題提起かな?)要するにツッコムこと
    問題提起は変だと思ったところをおかしいと言えばいいので
    誰でも(当然私も含む)簡単に問題提起できるし、簡単にしちゃう。
    (それが漫研のいいところでもありよく批評で問題になるとこでもあると思う)
    (感想ともまた違う気もする。感想との関係は今回は触れない)
    問題提起=検討や批評ではないと考えます
    問題提起+ソレを改善するための批評者なりの意見(正しい正しくないは2人で検討していく)=検討だと思います
    つまり問題提起だけでは別に建設的意見でもなんでもない
    おかしい部分をただ相手につきつけてるだけではないでしょうか
    (モノによってはおかしい部分を知らせることが建設的意見になる場合もあると思いますがややこしくなるので触れません)

    ということから
    建設的意見は批評からも誉めからもでると思います
    ツッコミ=建設的意見ではないと思います
引用返信/返信 削除キー/
■1621 / inTopicNo.10)  よかった。訂正前にレスがなくて
□投稿者/ 絵夢 -(2006/06/28(Wed) 12:56:23)
    >ただ相手の機嫌をとるだけのものならば簡単に馴れ合いが起きてしまう。
    訂正
    馴れ合いの場ってネット上などでよく見られる
    とりあえず誉めあいをするだけのグダグダな状態のことですよね
    じゃあ機嫌をとるため、相手のやる気をそがないようにするためだけの誉めがあっても
    馴れ合いの場になるとは限らない
    やっぱりみんな、相手の作品をよくしようと考えてるわけで
    その最中にそういう誉めも必要だと判断して誉めるならそれもいいんじゃないでしょうか

    馴れ合いの定義が上とはことなり
    例会などや例会後誰かの部屋で対面しながらしてたような
    堅苦しくなくまったりしたような、誉めもあり批評もありの環境を馴れ合いと呼ぶのなら
    馴れ合いもいいと思います

引用返信/返信 削除キー/
■1622 / inTopicNo.11)  漫研の活動としての批評
□投稿者/ K.TEN -(2006/06/28(Wed) 15:23:23)
    えっと、僕も批評と感想はごっちゃにしてました。
    僕のテキストでは、誰かが作品について触れる事を「批評」ということにします。方針や方式は考えません。

    ・機関屋氏の意見を読んで

    >そんなことで漫画へのモチベーションが、下がって描けなくなる様なら、そもそ
    >も自分の作品を発表しないほうが良いよ。原稿は、自分の手を離れたら自分のもの
    >じゃないよ。それは公のものだ。何言われても仕方ないよ。
    >自分が、表現手段として漫画を選んで、漫画を描きたいと思ってやっているんだ
    >ったらその程度で漫画がかけなくなるはずないでしょ?だから、そんなことは気に
    >しなくて良いのだよ。

     半分は同意できるけど、すこし乱暴だと思う。漫画を描く人は、
    文字通り人間であって感情のないマシーンじゃない。だから、
    ナーバスな相手にはフォローを入れる努力をするべきだと思う。

     あと、この部分の「公」っていうのは漫研内もはいるのかな。
    漫研部員同士はどうやっても「ウチワ」でしかないと思う。
    (でも描くのはあくまで自分一人なんだよね…そこの距離感が難しい点だとは思う)


    ・絵夢氏の意見を読んで
    頭でふれたように、問題提起だけでも「批評」といえるかも。
    漫研部員同士の場合は、その後のフォローを入れるべき。というのが僕の考えです。(たぶん褒めるに限らず、一緒に飲むとか、好きな漫画の話をするとか…?)
    理想的なのは編集的な批評と考えているけど。


    ココまで書いて思ったんですが、
    僕や絵夢氏の話は「批評を取り巻く人間関係」になっちゃってる。



    ・その他(ややスレ違い)

    >自分の引き出し
    >  ↓
    >取り出して形にする←ここでアドバイス!!
    >  ↓
    >意見を取り入れて試行錯誤
    >  ↓
    >漫画完成

    現役ときの僕の感覚だと、読者と漫研部員が果てしなく同一だったから、
    完成前に相談しちゃうと「ネタバレ」になっちゃうジレンマがあった(笑)
    読者を驚かせたりするのが、個人的な漫画の好みだったからね。

引用返信/返信 削除キー/
■1623 / inTopicNo.12)  Re[11]: 漫研の活動としての批評
□投稿者/ ウツダ -(2006/06/28(Wed) 16:56:25)
    機関屋氏の意見はさ、
    自動車事故起こして凹んでる奴に向かって
    「事故で凹むぐらいなら自動車乗るな。
     公道には他の自動車もいっぱいあるんだから!」
    という感じの理屈に見えるよ。
    つまりね、免許持ってない人のやっかみなんだよ、たぶん。

引用返信/返信 削除キー/
■1625 / inTopicNo.13)  Re[12]: 漫研の活動としての批評
□投稿者/ 機関屋 -(2006/06/28(Wed) 20:05:33)
    うーん、ネットはどうも迂遠だね。

    僕が絵夢君に言いたかったのは、君の書き方じゃ褒めることを暗に強制しているよ
    うに見えるよと言う事。
     褒めるようにするから、褒めてくれみたいに見えるよと・・・

    多分君はそういうつもりじゃないんだろうけど、見えますよと。

    そういう不文律は、押しつけ、干渉あるいは個人の自由意思を掣肘しかねないから
    自由な意見交換の場足り得ないので、意味がないといったんだ。
     相手の受け入れ云々あたりからきな臭くなって来たので一応言っておこうと思っ
    たの。
    勿論、相手があっての意見なわけだから、相手のことを慮って発言するのは当たり
    前でそこに云々いう気はないよ。

    ただ、まあ僕は人の意見を聞かないし、自分が「面白い、つまらない、好き、嫌
    い」以上のことを頑張って漫画描いてる人間に言うのは僭越なことだと思っている
    という気質的な問題が僕にはあるのかもしれない。他人の成長を教え導くなんて、
    俺のレベルじゃあ、こっ恥ずかしくて言えんしね。
     ウツダのやっかみ発言は本質を突いているかもね。天邪鬼だね。

    K.TENさん

    僕は漫画に関しては、漫研も公だと思ってますから。個と公で分ければね。まあ、
    あくまで漫画と言うくくりでは、の話ですけど・・・距離感が難しいのは分かります
    よ。こんなにドライなくせにネチャネチャした場所は、正直珍しいです(笑)

    人の意見を、わざわざ聞こうと言うなら多少覚悟したほうが良いと思うよ。
    まあ、だからと言って意見を言う方が何言っても良いとは思ってませんよ。ただ、
    傷ついた責任を意見した方に取らす様な言い方をしちゃいけないよと・・・
     でも、ちょっと言い方が悪かったかな?

    確かにネタバレになるのは、微妙だけど・・・それで漫画が良くなると思うならすべ
    きだし、そこは個人の判断に任せます。いやならしないで良いし。
     ただ、意見としてはこっちの方が後出しじゃんけん的要素は減るよと言いたかっ
    たのよ。完成しちゃったら、手を加えようがないから。


    >ウツダ 

    おまえ、後でシめるお (#^ω^)
引用返信/返信 削除キー/
■1630 / inTopicNo.14)  Re[13]: 漫研の活動としての批評
□投稿者/ ウツダ -(2006/06/29(Thu) 22:16:06)
    風車の原稿に追われてて詳しいレスできなかったっす。
    で、今からレス。

    >いっぺい氏
    >んー、でもそうすると、信念が固まってない人は、褒めてもダメな点を指摘してもヘコむ可能性があるな。
    >あ、正解はそういう人には何も言わないことなのか。

    僕に言わせればそういう人が「意見くれ」なんてのがそもそも間違いなのであって、
    それで痛い目にあっても自己責任だ、と思う。(前に自己責任だと言ったのは、こういう意味。)
    だから僕の場合は、自分で気にいらないものは意見も募集しない。
    自分でそこそこ手ごたえがあったときには、
    それを確認する気持ちで他人に意見を聞くことはあるかも。

    作画技術、演出、プロットとか「表現するための技術」は人の意見を聞いてもいだろうけど、
    テーマ、つまり「何を表現するか」は自分で決めるしかないよね。
    そこには悩みやつまづきがあって当然だろう。
    そこで人の意見に頼るのは逃げだと思うんですよ。

    >ということで、言葉遣いとしては、「検討」が近いのかな。

    その言葉は考えたことなかったなあ。いい言葉だとは思う。
    (僕は、「指導」とかいうイメージだった。)
    最善の1手とか、検討とか、なんか将棋っぽいですね。
    そういうイメージを意識的に持たせてるのかな。
    プロの将棋で、勝負が終わったあとの検討の様子を見るといつも関心するんだけどね。
    あの冷静というか、心穏やかな感じがプロっぽい。
    負けてもけっこう笑って楽しそうにしてたりするし。(ブルーな人も時々いるけど。)
    (カメラが回ってるってのもあるのだろうか?)
    将棋は二人で棋譜を作るわけだから、勝敗という立場の違いはあっても、
    棋譜に対しては同じ発言権があるんじゃないかな。
    つまり二人で作ったものを、二人で「もっとこうした方がよかった」とアイデアを出し合うわけで。
    (あるいは、単に勝負が終わったら同じ
    将棋の研究者として立場が同じだということかも。
    棋士はいつもプレイヤーとしての自分と、
    研究者としての自分という2面性のバランスを探るのものだ、
    みたいなことを若手のタイトルホルダー[NHK杯だったか]が言ってたのを思い出した。)
    そういう立場の対称性が「検討」という言葉からは感じられる。

    「批評」は非対称だよね、明らかに。
    作品に「近い側(作者)」と「遠い側(批評する人)」という違いがある。

    僕は昔「批評の批評」スレで書いた「原稿を描く前に教える、相談に乗る方がいい」って意見は
    この非対称をなくすという意味があったと今なら分析できる。
    つまり作品を描く前は、作家も、アドヴァイザーも一蓮托生、立場は一緒になるんだよ。
    僕がなぜ昔からこういうことを言ってたかというと、
    「お前らそんなマンガに向上心あるポーズをとるなら
    プロと編集の関係を模倣するぐらいの根性みせろよ」という不満があったからだ。

    K.TEN氏の「編集的批評がいい」論は、理念としては大賛成だけど、
    漫研で、つまりプロでない世界で実践できるかどうか、ちょっとわからない。
    なぜなら、学漫で「一連托生」な関係ってあまりないと思うから。
    K.TEN氏は漫画は一人で描くものだと書いてたけど、
    その唯一の例外が編集なんじゃないかな、と思います。
    プロである人は、商業誌に作品をのせるわけですから、
    雑誌の編集者からみれば、作品に雑誌の運命を委ねる、つまり作家と一蓮托生的な瞬間があるわけです。
    (基本的には編集者がずっと強い立場なのかもしれないけど。)
    だからこそプロと編集という関係で意見をぶつけあえるのではないかと。

    漫研には、そういう資本主義的な力学が一切なく、
    K.TEN氏のいう通り漫画は「一人で描く」作業でしかない。
    だからそこで行われる批評も、作者と距離をとった「後だしジャンケン」的意見になってしまう。
    (僕や機関屋氏は、それがとても卑怯で不誠実に見えるんだな。ぶっちゃけ。)
    そんな漫研で、立場を共にする「編集的批評」がありえるのか。
    プロとしてK.TEN氏の意見を聞きたいところです。
    僕の「編集」観が間違ってるかもしれないので、
    「いやいや実際はこうだよ」とか現場の話をしていただけたらうれしいです。

     
    +   +
      ∧_∧  +
     (0゜・∀・)   ワクワクテカテカ
     (0゜∪ ∪ +
     と__)__) +
引用返信/返信 削除キー/
■1638 / inTopicNo.15)  Re[14]: 漫研の活動としての批評
□投稿者/ K.TEN -(2006/06/30(Fri) 16:41:59)
    ごめんなさい。ちょっと忙しくなるので、当面はROMの方向で行きます…。

    ウツダ氏

    機関屋氏と絵夢氏のやりとりは
    「そんなことは聞く側が覚悟するべきだ」という正論と
    「いや、言う側も気をつけるべきだ」という願いが交錯しているのかな…。

    「批評は非対称」という考えには賛成です。ココでの議論自体がそこを根っこにして出発していると思う。

     編集的なという部分を言葉を換えると、「ディレクション」だとおもう。作品を前に、この描き手を今後どうディレクションするのか。商業の場合は作家の特性と市場の動向を鑑みて、編集長が決定する場合が多い。
     編集さんと漫画家は一蓮托生とは微妙に違います。利害は一致してても、
    作家は基本的に代わりがききます。出来上がった作品の責任は全部作家に
    帰結するので。(人気が出れば喜ぶ、くらいの共感はあるかも)
    だから、描き手は常にそういう緊張感にさらされて仕事をしてますし、
    それで良いと思ってます。(漫画は最終的には一人で描くもの)
    単行本とかになるとまた事情が違ってくるんですが(作家の手の届かない問題が出てくる)、
    それはホントに商業の話なので、割愛。

     漫研には確かにそういう力学はないけど、とにかくモチベーションに焦点を
    当てて考えて欲しい。本来の批評は厳密なものだけど、相手のモチベーションを
    上げるという要素が関わると、色々やり方がかわってくると思うのですよ。 
    編集的な批評というのは、そのうちの一つになるんじゃないかなと。
    なんなら描き手の好きな雑誌を想定してのディレクションでも良いとおもう。 
    信念のあるなしに触れていたけど、無い人にはなおさら何らかのディレクションが
    役に立つのじゃないかな。本人が採用するかどうかはともかく。
     あ、技術的なつっこみは大前提ということで。
    以上の話はあくまでどうフォローするかということです。
     

    ワクテカなところ申し訳ないけど現場の話はこの場では書きづらいです。
    直にお話しする機会があれば、その時にでも。ゴメンなさい。


引用返信/返信 削除キー/
■1639 / inTopicNo.16)  ふしぎふしぎ〜
□投稿者/ ねるお -(2006/06/30(Fri) 17:52:31)
    >機関屋氏
    [やはり誉められたいんです。漫画を描いてる以上。ほんの少しでいいんです。]----(1)
    [あの時の経験から批評の機会があれば自分がいいと思ったところは小さい部分でも誉めるようにしてます]----(2)
    (1)と(2)を絵夢氏が並べ立てて書いたから「こちらも褒めるから君も僕の漫画を褒めてよ」と,はっきり口にださないままに(ここ重要です,前もって言ってることなら大して問題じゃないでしょう)要求してるように感じて,機関屋氏の癇に障ったんでしょうが
    (2)は単純に,「自分がされて気分のよいことを人にする」理論なのかもしれないじゃないですか
    それはそれで,「褒められて喜ばない人もいる」という問題も含みますがそれは機関屋氏が問題視してるのとは別の問題でしょう
引用返信/返信 削除キー/
■1646 / inTopicNo.17)  Re[16]: ふしぎふしぎ〜
□投稿者/ ウツダ -(2006/07/01(Sat) 03:35:57)
    >K.TEN氏
    >当面はROMの方向で

    了解です。以下の僕の文章はレスを想定しないものということで一つよろしく。

    ■「ディレクション」とは
    >編集的なという部分を言葉を換えると、「ディレクション」だとおもう。

    言葉遊びかもしれないけど、僕が前のレスで書いた「指導」とシンクロしてませんか?
    編集的=ディレクションというのはちゃんと理解できてなかったので、
    まあ、これで一つ話が進んだ気がします。
    感覚的に言うと、「批評」が「遠い/近い」という関係であるのに対して、
    「ディレクション」は「上/下」という関係のような気がします。
    導く人は、導かれる人より、上位の存在でしょうから。
    同じ非対称な関係といっても、横軸から縦軸に変わっている。
    ここらへんが、問題の本質を浮き彫りにしてると思います。

    つまり僕が前に書いた「批評者は、批評される側と同じ立場でないといけない」から
    「批評者は、批評される側より上位の立場でないといけない」
    というとこまで話が進んだのではないかなと。
    これはかなりいい議論だなぁと思います。

    K.TEN氏は前にどこかで「技術的なことは上手い人が教えないと意味がない」
    と書いていた記憶がありますが、
    僕は最終的には、「作品をどういう方向で伸ばすか」という話も、
    その思想面で上位の人でなければ、導く、ディレクトすることはできないのではないかと思います。
    これは雑誌の作家と、担当者という、社会制度に規定された関係ではなく、
    純粋の実力の上下を要求されるという意味で、かなりタイトですよね。

    たぶんそこで僕なんかは
    「批評(ディレクションとしての批評と解釈して)してる人たちは実力が伴っているのか?」」
    という疑問があって、不満がでてくる。

    ※機関屋氏の意見は、そういうタイトさを自分に課すかわりに、
    他人にも適用し、批判するという戦法なんでしょう。
    僕も昔はそういう論法でしたが、それはやっぱり自爆的、
    刺し違え的、敗北主義的でよくないと今では思います。
    タイトさを自分に課している姿は努力しているように見えるけど、
    そのタイトさを満たさない自分を認めることで、同じ理屈を他人にも適用し
    「お前らも私のストイックさを見習え」というのは、詭弁だと思う。
    タイトさを満たさない自分を潔く諦めることで、その潔さを美的なものにしようとする。
    でもそれは結局、努力を諦めて、問題を投げ出してる自分の正当化でしかないよ。
    それとも、その諦めが「自分が最高に努力した上での結論だ」と言い切れるのか?
    僕は言い切れなかった。だからそういう考えを捨てた。

    ■ディレクトできる部員が存在するのか
    話がそれましたが、とりあえず問題点として
    「ディレクションする批評は、実力が上の人でないと難しいだろう。
    では誰がその要件を満たすのか?」
    というデリケートなところに行き着くわけです。

    しかしこれはちょっと議論する気にはなれない。
    結局、そういう部分に思考停止する人たちは、
    「批評したい人がし、批評される側は好きなものを採用すればいい」となり、
    あるいは思考を続けても、
    「漫研内にそんな実力の圧倒的な差などないだろう。
    したがって漫研内での批評はそもそも無意味だ。」となってしまうのではないか。
    結局、これが漫研の病なのではないかと思うわけです。

    >商業の場合は作家の特性と市場の動向を鑑みて、編集長が決定する場合が多い。

    やはりここが決定的なんでしょうね。
    編集者は「部数をなるべく伸ばしたい」という目的を持っていて、
    どんな作家に、どんな作品を描かすように「ディレクション」するかという問題が、
    抽象的な意味で定式化できる。
    簡単に言うと、問題意識が明確で、それゆえ自分から積極的に対処できるわけです。
    だから、編集者から作家へとどんどんコミットできる。
    だが、漫研では、批評者の目的と、批評される側のそれとが一致しているという保障がない。
    それに、批評者の目的というのが、「相手の漫画を自分の理想に近いものにする」という、
    観念的なものにならざるをえない。

    それに、批評される側の問題意識の低さも指摘しておきたい。
    僕は昔誰かを批評しようとして
    「君はどういう漫画を最終的に描きたいの?プロで例えると誰?」
    と聞いたことがあったんですが、
    相手は「よくわからない」と答えました。
    それで僕は、何も言わなかった。言えなかった。
    そういう部員は多いでしょう。僕だってそうかもしれない。
    かといって自分から「君はこういう漫画を描くべきだ」とはなかなか言えない。
    そういう、批評する側と、される側が互いに方向性(まさにディレクション)を見出せない、
    それゆえ指導(ディレクト)できない。

    だから漫研で行われてきた「批評」なるものは、しばしばそういう問題意識が欠落した
    表層的なコマワリ論、台詞論、印象論に終始せざるをえなかったのではないか。

    ■今後の展望
    これまでの漫研分析はこれぐらいにして、
    もっと話を明るく前向きな方向へ持っていかないといけない。

    それでやっぱり、ディレクションっていうのは、いい概念だと思う。
    少なくとも今まで行われてきたものより、建設的なアプローチだろう。
    (そもそも、「今までの批評よりベターな批評とは何か」という議論自体が
    今までの漫研に比して、画期的に建設的だと思うが。)

    「批評から指導へ」「コメントからディレクションへ」というのは
    今後しばらく自分のお題目にしていこうかな、と思う。
    もっとも、実際に人を指導できるレベルになることがまず先決だし、
    仮にあるレベルに至ったとしても、それで他人に助言できる範囲は極めて限られている。
    指導という言葉に引っ張られて傲慢になる気もないし、
    かといって自分を卑下しすぎてシニシズムに逃げるのも不誠実だ、
    という無難なところがひとまずの落としどころか。

    ※厳密な意味での「批評」を英語に訳すとcriticismになるが、
    漫研での批評は英語で言うところのcommentに近いように思う。
    commentは「論評, 批評, 意見」というふうに訳されて、
    少し意味に幅を持たせている言葉で、便利な言葉のようだ。
    日本人が議論が苦手なのは、こういう痒いところに手が届く言葉が
    現代日本語に実装されてないからなのかも。
    気の利いた英語を見つけたとき、少し劣等感を感じる自分がいる。

    僕が例会で何回かやったセミナーっぽいことは、
    プロの作品にコメントをつけることで、
    広い意味では新入生にディレクションを与えるものであったと信じたい。
    ふと思うが、ディレクションさえ与えることができれば、
    本人の作品にあれこれツッコむ必要は必ずしもないのでないか。
    K.TEN氏は「モチベーションを考えてあげよう」と書いていましたが、
    それは僕もおおむね賛成です。
    それで、モチベーションを下げないやり方として、
    「作品にコメントせず、〆切前にできるだけ自分の考えを説明し、
    ディレクションを与える」ってのもアプローチの一つではないかと。
    そういう意味で、自分でも知らないうちにいい方向に歩めているのかな、と少し安心した。
    批評なんかよりあーいう行動の方が僕はやりやすいし、実効性もあると信じている。
    (逆に言うと、僕は今まで行われてきた批評の実効性にかなり懐疑的である。
    しかし実効性の有無は証明が難しいから、議論にはならないだろう。)
引用返信/返信 削除キー/
■1647 / inTopicNo.18)  Re[17]: ふしぎふしぎ〜
□投稿者/ 星野 -(2006/07/01(Sat) 06:30:42)
    >批評って誰でもできますよね

    >つまり問題提起だけでは別に建設的意見でもなんでもない
    >おかしい部分をただ相手につきつけてるだけではないでしょうか

    言う方だって別に意地悪で言ってる訳でもなく本人が聞かせてくれと言うから
    まず目立っておかしい点を指摘したのに
    聞いてきた本人にそんな態度取られたらもう勝手にしてくれとしか言い様がない。
    別にこっちは漫画の先生じゃないんだから具体的な解決法まで付き合う必要もないしそこまで連れて行ける能力があるとも限らない
    勿論仲間だからできる限りつきやってやりたいけれど突きつけるだけでも十分に意味はあると思う。

    これ自ら批評を望んできた人間がこんなこと言ったならば確かに失礼だ。

    > 「細かいツッコミじゃなくて、将来の(次の)漫画の役に立つアドバイスが欲しい」
    この要求は都合が良すぎ
    まるで人が自分をリフトのようにスイスイと上まで連れて行ってくれるみたいな考えだ
    本来細かいツッコミの中から自分で見つけていくべきではないだろうか
引用返信/返信 削除キー/
■1650 / inTopicNo.19)  ウツダがいじめる!!!!ウワーン
□投稿者/ 機関屋 -(2006/07/01(Sat) 09:13:42)
    多分、ウツダは僕の一個か二個は先の段階にいるのね。このことに関して。僕は寛
    容さが足りないのね。だから、途中で思考停止してる。
     この議論を建設的な方向に向けるためには、圧倒的に彼のアプローチのほうが正
    しい。

    だから、結局やっかみと言われればそうなんだよね。じぶんがそこまでのレベルに
    到達する自信も、努力できる気もしないから。

    しかし、言わせて貰えば例えばウツダのような思考プロセスを経て、ここの議論が
    なされていたとは到底僕には考えられなかった。この問題を扱う危険さについて安
    易に、無自覚に扱っていたと思うよ。漫研は多分、昔からそうだったと思うど・・・

     「ガチぶってるけど、ホントにやれんの?」と小姑のような嫌味を炸裂させてい
    る点は、たたかれても仕方ない。ごめんね。
     ただ、かなりこの事に関してペシミスティックになっているもんでね。
    まあ、それの行き着くとこが「お前らガチぶってるけど、適当に漫画かいてるや
    ん」で終わってる点では何の意味もないね。そういう所は意識を変えなきゃならな
    いね。

    ただ、多分ウツダのレベルまで問題を言語化できている奴はいないよ。現時点では
    ・・・
     ただ、感覚的に感じている人間はいるだろうけど。
     それに、ウツダの言う方向性を現在の漫研に求めるためには相当に意識の底上げ
    が必要となるな。しかも、それを高いモチベーションを保たせながら行うのは至難
    だ。だが・・・まあ、そこで思考停止するわけにもいかんだろう、ここに書き込んじ
    ゃったしね。まあ、邪道は邪道なりに何か考えていくよ。

    とりあえず、抽象的だが個々の漫画観を言葉にする(言語化)必要があるね。漫画を
    語る言葉を持たないとだめだね。
     そういう点での、漫画について語る場が漫研には必要だと思う。ウツダのやり
    方はそういう意味では、その場を提供してるけど、する側と聞く側の意識にはかな
    り差があると思うよ。そういう意識作り、前段階的な作業が必要なんじゃないの?
     やはり、そういう意味ではある程度のフランクさを持てる程度にみんなと仲良く
    ならねばいかんね。細かな、草の根的なアプローチがいるんだろうなあ・・・シャイ
    な漫研部員に自分から語ってもらえるような。

     そういう所に関しては、ウツダも「固い土を耕さずに、種だけ蒔いてる」イメー
    ジがあるぞ。芽が出る効率は悪そうなんだが、どうかね?そこのところ?
     理論はあるんだから、それを理解してもらうためにみんなと交流する方法も同時
    に模索していくべきではないね。馴れ合いではなく、仲良しになる方法をさ。
     まあ、僕も人のことは言えないんだがな。

    ほんとに俺ときたら↓
引用返信/返信 削除キー/
■1654 / inTopicNo.20)  くたばれ評論家
□投稿者/ 宮崎 -(2006/07/02(Sun) 12:58:35)
    ■ビジョンがないのか?
    どんな漫画が描きたいの?と聞いて返事が返ってこなかったという話がありましたが、
    それは「ビジョンを持っていないから話せない」というだけではなくて、
    「この人には話せないな」と思われた可能性もあるんじゃないでしょうか。

    「どんな漫画描きたい?」
    「……(『ブラックキャット』とは返事のしにくい雰囲気だな…)」
    「……(『天上天下』とも言いがたい…)」
    「……(『バガボンド』…いや、案外なんかこだわりがあってボロクソに言われるかも)」
    「……(本気で描きたいのは『テニスの王子様』みたいのなんだけど…)」
    「…いや、よくわかんないです」

    みたいな。

    時々は言いたがりの人間もいますが、基本的には「言えよ」だけじゃ
    なかなか教えてもらえません。
    聞く側の心情も考慮して、聞き出す努力が必要です。
    具体的には「先に自分の趣味を伝える」「否定的なコメントから話を始めない」等でしょうか。


    ■「細かいツッコミ」について
    ツッコミ入れるというのは大事なことだけど、やり方によっては描き手を大変イヤな気分にさせることがあります。
    漫研でときどき見た光景に、一人の対象に大勢が群がってツッコミ大会、というのがありました。
    始めは普通に悪いところを指摘されて直したりしてるのですが、
    じきに突っ込み側の人数が増えてきてヒートアップ、ツッコミがどんどん厳しくなり、
    受け手側はだんだんしょんぼりしてきて返事からもやる気が失せ、
    最後にはもうすっかりしょげかえってうんざりした顔になってしまっているのに
    ツッコミ集団はそれにまったく気づかず輪姦続行……という悲惨な状況。

    「指摘は謙虚に受け止め、解決策は受け手側で探すべき」というのはまったくの正論ですが、
    実行してみるとなかなか精神力を消耗する行為です。
    しかも指摘する側が技術力についても経験についても自分と大差ない相手だったりすればなおさらです。
    精神力が限界に達するとどうしても
    「自分じゃできもしないくせに言いっぱなしじゃないか」
    といった考え方も出てくるのが人間ってものです。

    一回の機会で消化できる指摘の量には限度があります。
    ツッコミ側は受け側が意見を聞いてどう思っているか、どのあたりまでなら耐えられるか、
    ちゃんと気遣うべきだと思うのですが、どうでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/

次の20件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -